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父のベンチ と やさしい贈り物

 2022年の夏、たいへんな猛暑でした。そんな8月のある日のできごとを父から聞いたので、記事にしてみようと思います。

目次

父のDIY

 父はこの9月で91歳になりました。父の多趣味については、「90歳父上のグラウンドゴルフ」(記事はこちら)というブログ記事でも少々触れましたが、一つ紹介し忘れていたのが「DIY」です。

DIY(ディー・アイ・ワイ)とは

 英語の「do it yourself」(ドゥ・イット・ユアセルフ)の頭文字を取った略語で、直訳すると「自分自身でやる」という意味です。

 素人だけれども、何かを自分で作ったり、修繕したりすること。日本では、いわゆる「日曜大工」のことを指します。

 近頃では「DIY」という言葉に代わってしまい、死語になりつつありますが、「日曜大工」は、大工を職業としていない人が、休日に木工作業をするという意味で1950年代後半ぐらいから定着した言葉だそうです。

30代の代表作

 私の記憶だけで語るのは申し訳ないのですが、父の30代の代表作として、「駐車場の塀」があります。

 私が7歳の時に一戸建てに引っ越しをしたので、当時父は37歳。家の南側に屋根付きの駐車場を作りました。塀は、柱にロの字とLの字型の金具を取り付けたところに柵のひっかけ部をスライドさせてはめ込むというもの。

 トヨタカローラがやっと1台停められるスペースで、ハンドルの切り替えを何度も繰り返しながら駐車し、父の運転技術は拍手ものでした。駐車後に、真ん中に支柱となる柱をコンクリートの地面に開けてある穴に差し込んで立て、そこに左右2枚の柵をはめ込みます。

 柵を取り付けると立派な塀になり、外から見ると、誰もが「どうやって車を入れたのか」不思議に思う作りで、我が家の自慢でしたね。

 こんな感じだったかな。右に描いたのような柵を車を隠すようにはめ込む……ひどい絵だ。
記憶に頼る和美

 写真があればな~。なんとも言葉では説明し難い。表現がヘタクソなので絵に描いてみたが、それもまたへたくそで。それよりも記憶が違っていたら、父上ゴメンなさい🙇

40代の代表作

 私が中学生~高校生の頃だったと思います。父上は40代、今度はなんと家の2階に「1部屋増築」したのです。

 北側の1階の屋根の上に、2階の廊下をぶち破って、細長い5畳くらいの広さの部屋を一人で作ったのです。私はノータッチ(頼りにならない)でしたが、姉は柱を支えたりと手伝いに駆り出されていました。年ごろだったので、「えー、マジで⁉」(今の言葉で表現)という感じだったと思いますが、できあがってみるとリフォームした新鮮さがあり、部屋の端と端に姉と私のそれぞれの勉強机を置き、愛着のある部屋になりました。ちなみに、増築の助手をした姉は、勉強机を必要としていなかったのか、別の部屋にいることが多かったかな(笑)

50代~80代の代表作

 父が50歳ぐらいの時に、現在居住の地に引っ越してきました。せっかく増築したり駐車場を作った家ですが、外環自動車道が通ることになったため立ち退いたのです。

 新居に住んで数年後には私は家を出ることになったので、この年代の父の作品はあまり覚えがありません。そこで、父に聞いてみたところ、キッチンの窓を「出窓」に改装したとのこと。はいはい、そういえばそうです。実家に遊びに行ってみると出窓になってました。鍋を置いたり便利になりましたね。

 この年代は、町会の運営に携わっていたからか、DIYからはしばらく離れていたようです。

 この家も父が80代の時に建て替えとなりました。現在は3世代で賑やかに暮らしています。

90代の代表作

 まだ代表作と言い切れないかもしれませんが、今のところの代表作は、「公園のベンチ」。DIY復活です。

 DIYの時間は、昼寝を終えてからの約2時間。ベンチを1台完成させるのに3日間ほどかかったそうです。自宅の空スペースで作成し、公園へ運んでベンチの足を埋め込む。

 公園はグラウンドゴルフを楽しんでいる場所。ペンキを塗りなおしたり全部で9台のベンチを作成したそうです。腰掛けるところが増えて、皆さん大変喜んでいます。

埋め込んだベンチ(父が撮影)
 これは1台だけ埋め込まなかったベンチで、もともと備え付けてあったテーブルとベンチに仲間入りです。「よくできてるなぁ」と感心している人。(見に行った時、私が撮影)

やさしい贈り物

 これまでの父のDIYに触れてきましたが、ここからが本題になります。

 この90代の作品であるベンチを完成させた最終日に、「感謝のできごと」があったというのです。

 それは、そのできごとに感激した父が書いた手紙でご紹介します。

学校長 ○○○○様

 初秋の候、益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。

 突然ではございますが、夏の終わりに、親切で高齢者への思いやりの善行小学児童についてお知らせ致します。

 私は、元○○町会の町会長を15年務め、○○小学校の学校評議員を4年(一期)ほど務めさせていただきました。現在は、グラウンドゴルフ○○球友会を設立し、高齢者30名ほどで毎週月水金に○○公園でグラウンドゴルフを楽しんでおります。

 さて本論に入ります。子供とのやりとりをありのままで書きました。

 猛暑の夏も終わりの8月31日(水)午後3時40分頃、私は○○公園で、みんなの腰掛けるベンチを作るため、穴を掘り汗をかきながら作業していると、二人の子供がきて、「おじさん何しているの」と聞くので、「みんなの腰掛けるベンチを作るんだ」と答えると、「おじさん、汗がすごいよ、熱中症になるよ、水を飲まなくては危ないよ、水あるの?」と聞くので「ないよ、持ってこなかった」と返事をすると、「ちょっと待ってて」と言い2,3分いなくなりました。

 やがて二人が戻ってきて、「おじさん、これ飲んで」と、ペットボトルの麦茶を1本くれました。私は、「ありがとう、すまないね」と言い、冷たい麦茶をゴクゴク飲みました。二人は顔をあわせながら、良かったね、と笑っていました。

 私は、あまりの感動に思わず「あなたがた親切だね、心優しいね」と褒めてあげました。学校はどこかと聞くと、「○○小学校3年生です」と答え、「しっかりしているね、学校で教わったのかな偉いね」と褒めました。

 「おじさんはね、この町の町会長を15年やりました。だから町内は大抵のことは知っているよ。二人のお名前を聞かせてください」と聞くと、二人は自分の名前を言ったけれど、「難しいね、おじさんわからないよ」と言いますと、二人はメモ帳を取り出し、○○○○と書き、次に○○○○と書きました。私は「ずいぶん難しい名前だね」と言うと、「親がつけた名前です」と誇りにしていました。

 私は、「親切なお返しに記念写真を撮ってあげます」と、二人をスマホで撮影しました。早速、家に戻り現像しながら家族にそのことを話したところ、「今時の子供にしてはめずらしい親切な心を持っているね、たいしたものだ」と褒めていました。できた写真を二人の家に手紙と一緒に届けました。

 二人の素晴らしい親切な心、高齢者をいたわる心に感動して夏の終わりの善行を手紙に書きました。校長先生から二人に一言のお褒めの言葉をいただければ幸いと存じます。

 たしか、○○小学校の校訓にこんな木がありますね。

 元気(木)、勇気(木)、やる気(木)をもっとうに木(心)を育てる教育です。

 私は、これに一つ加えて、親切な木、としたいものです。

 長々とまとまらない文書で大変失礼します。

 今後とも、○○○○校長先生におかれましては、学校経営と優しい心をはぐくむ子供教育にご尽力されることにご期待申し上げます。

 終わりに、歴史ある〇〇小学校の益々のご発展と校長先生をはじめ職員の皆様のご健勝とご多幸をご祈念申し上げ、お知らせのごあいさつといたします。

 令和4年9月3日     

○○町会 相談役 ○○○○

 以上が、全文です。父から見せてもらったパソコンで作成したこの手紙と、真新しい青いベンチに腰掛けた二人の女の子の写真と、しっかりとした字で書いた名前のメモは、大切にファイルにとじてありました。

 娘として、お二人に感謝します。ほんとうにありがとう。きっと校長先生からもお褒めいただいたことでしょう。

感謝の和美

 このできごとのすぐあと、父は91歳のお誕生日を迎えました。ゴクゴクの麦茶は素敵な「やさしい贈り物」になりましたね。よかったよかった♡

 二人の親切にはもちろんですが、父が感謝の手紙を出すという行動力にも感動しました。

 たま~にだけど、また父のベンチに腰掛けに行こう。